Catastrophe

ふた月ぶりのブログの更新です。


そして、東日本大震災発生から、ひと月が経ちました。


地震津波が襲った日から、何度もブログを更新しようと試みたものの、自分の頭の中にある思いがなかなか上手くまとまらずにいます。


大きさに関わらず、この大震災の影響を受けているすべての方々にお見舞い申し上げます。


地震発生時、私はもちろん、ここイギリス、カンタベリーの自宅にいました。なので、実際に体験はしていなく、地震後の津波が東北の海岸を襲わんとしている頃にTVのニュースで知りました。


日本の外にいて、避けようの無い災害の被害に遭わなかったということは「幸いにも」というべきなのかもしれません。でも不思議なもので、日本人なのに、この一大事に日本にいないで、皆と一緒に苦労を分かち合っていない自分に、非常にバカバカしいのですが、罪の意識みたいなものを感じるのです。
上手く説明出来ないけれど、日本で生まれ育っていると、子供の頃から常に避難訓練だの何だのと、誰もが「いつ大震災が起こってもおかしくない日本」をどこかで意識しながら生活しているようなところがあって、被災者のことを考えると「他人事ではない」「私が被災者になっていたかもしれない」と思ってしまうのではないでしょうか。
だから、日本の内外にかかわらず、私達は行動を起こさずにはいられない衝動に駆られるんだと思います。


私のような者に何が出来るか分かりませんが、とりあえず何度か募金箱を見かけた時に小額ですが寄付しました。
また先日、カンタベリーの街で募金活動のお誘いがあったので、これまた短時間ですがお手伝いさせていただきました。土日の数時間で日本円にして100万円以上集まったそうで、正直嬉しい驚きです。10ポンド札、20ポンド札を寄付してくれた人も少なくなく、こちらの人達の関心の高さもうかがえました。


周りの人達から(私の)「日本にいる家族や友達は大丈夫か」と心配もたくさんもらいました。
「お陰様で大丈夫」と答えてはみるものの、ある意味 on going な状況で、本当はどう答えていいのか分からないです。
私も自身の両親も東京出身ですが、母方の祖父母は東北、岩手&宮城出身でした。なので、被災者の言葉のアクセントなどを聞くと、何とも胸が締め付けられるような、センチメンタルな気持ちになります。


試練は耐えられる人にしか与えられないと言った人がいましたが…本当かな。
道のりは長いと思いますが、それでも、大震災の影響を受けている方々が1日でも早く通常の生活に戻れるよう願って止みません。